1963 年のロンドン、それまでのファッションとは異なる⾝なりをした若者たちがいまし
た。彼らは、刹那的に今を⽣き、⾃分⾃⾝と服に関⼼を持っていました。⼀⽅で、思想的に
もそれ以前の若者とは明らかに違うスタイルがあるだけでなく、イギリスのダンディの系
譜を受け継ぐポリシーが息づいていました。

これがいわゆるモッズ(MODS)と呼ばれているユースカルチャー(若者⽂化)です。なぜ、今、
モッズなのかと⾔いますと、彼らのスタイルは、ファッションの世界において、再利⽤され
続けており、改めてご紹介しておく意義があると感じたからです。

●モッズの実態

モッズは、もともとはモダニストと呼ばれていました。このモッズという呼称は、この⾵
変わりな先鋭的なファッションに⾝を包んだ若者たちのことに気づいたイギリスのマスコ
ミから命名されたもので、モダンジャズから転⽤された⾔葉だと⾔われています。


多くの場合、モッズは 仕事においてはあまり役に⽴つ存在ではありませんでした。その鬱

屈を発散するかのごとく、仕事が終わると、⼀張羅を着てクラブで朝まで踊るというのが彼
らのスタイルでした。モッズのアフターファイブでの派⼿な⾔動や服装(それまで、⿊⼈か
ミュージシャンかゲイしか⼿をつけなかったスタイル)はその反動ともいえます。初期のモ
ッズ(以下オリジナルモッズとする)は、⾳楽にそれほど関⼼を持っていませんでした。しか
し、徐々にモダンジャズや R&B バンドを愛聴するようになります。

当時のモッズの⼀週間の⽣活について次のような記録が残っています。
「リチャード・バーンズは、63 年か 64 年にかけての典型的なモッズのライフスタイルを次
の様に描いている。⽉曜の晩は「シーン・クラブ」で過ごす。⽕曜は地元のダンスパーティ。
⽔曜は「ラディスコテック」に繰り出す。⽊曜は再び「シーン・クラブ」で過ごすか、「マ
ーキライシアム」へ⾏く。⾦曜は『レディ・ステディ・ゴー』を観てから「シーン・クラブ」
か「ラ・ディスコテック」へ。⼟曜は午前中カーナビー・ストリートでショッピングをして
から、ハムステッドやプリクストンの無名のレコードショップへ。夜は「フラミンゴ」と「オ
ールナイター・カフェ」で過ごす。朝 4 時頃「オールナイター」を出て、ブリックレーンな
どの⽇曜の朝市でお茶と朝⾷をとり、屋台のレコードや洋服を⾒て歩く。⽇曜の午後はまた
「フラミンゴ」に戻って、⼣⽅、リッチモンドの「クローダディクラブ」へ。深夜、リッチ
モンド橋のカフェ、「ローベルジュ」のカプチーノを⼀杯。これで⼀週間が終わる。それは
まさしく、次から次へとモノが⼤量⽣産されては、あっという間にすたれてしまう、商業資
本主義にあやつられた⼤量消費型のハイ・エナジー・ライフスタイルであった。i

●モッズのスタイル

オリジナルモッズは全⾝をオーダーメイドの⾐類(イタリアンルックの三つ釦スーツなど)
で固めていました。 しかし、ブームが全国的になっていく中で、 すべてのモッズがオーダ
ーメイドで通すなどできるわけがありませんでした。時代はすでにオーダーメイドではな
く既製服が主流になっていたのです。そこでモッズはオーダーメイドを志向するハイギア
と、既製品も取り⼊れてコーディネートするローギアに分かれていきます。この辺は、映画
『さらば⻘春の光』にとても詳しく描かれています。

余談ですが、ビートルズは、メジャーデビューした時はモッズスタイルで売り出していま
した。 これは敏腕マネージャー、ブライアン・エプスタインの戦略で、モッズのように洗
練されたスーツで世に出れば、 ⼀般⼤衆の⽀持を得やすいと考えたからでした。メジャー
デビュー前のビートルズはロッカーズ(マーロン・ブランドの『乱暴者』のバイカースタイ
ル)やテッズ(ロカビリーに影響を受けたスタイル) のスタイルを混ぜた⾰ジャン、⾰パン
ツスタイルでした。

●彼らが残した遺産

そんな彼らが発明スタイルの中で代表的なものは、ポロシャツやシャツのボタンをトップ
まで締めること。これが当時彼らの仲間内で流⾏していました。 また イタリアンルックを
嗜好した彼らはジャストサイズで服を着ることにこだわりました。⼀⽅、ちょうどその頃、
⾝体のラインに沿ったスーツをピエール・カルダンが発明したばかりで、そのスーツは世界
的に主流になっていきました。このことからもまさにモッズのユースカルチャーは、まさに
時代の流れとリンクしていたと⾔えるでしょう。

補⾜ですが、後に有名になったモッズ出⾝の著名⼈も少なくありません(代表的なのは
David Bowie, Rod Stewart ,Marc Bolan など)。彼らはとにかく⾃分のスタイルをいかにかっ
こよく⾒せるかにしか興味がなかったので、とても洗練されたスタイルが⽣まれました。だ
からこそ今でも彼らのスタイルは模倣され、ファッションカルチャーの中で特異な地位を
築いているともいえます。

ここまでご覧になった読者の皆さんの中にはモッズってなんて素敵なのだろうとか、かっ
こいいなと思った⽅もおられるかもしれません。しかし、ここで残念な事実をお伝えしなく
てはいけません。

●モッズの残念な事実

1.親の脛をかじっていた

今でこそ、モッズという⾔葉を聞くとクールなファッションに⾝を包んだ流⾏の最先端を
いくかっこいい若者たちを連想するかもしれませんが、初期のオリジナルモッズは、ユダヤ
⼈が多く、全員が働かずに親の脛をかじって、⾼級なオーダーメイドの服を仕⽴てていまし
た。今で⾔うニートです。彼らは中流階級に属しており、お⾦に余裕がありました。モッズ
がイギリス全⼟でブームになっていくと、労働者階級の若者たちが後追いでモッズになっ
ていきます。すると当然、働くモッズも出てくるのですが、そこでも問題が起こります。

2.いざ働いても職場では使い物にならなかった

睡眠時間を取らずに夜通しクラブで踊っているから、⼤半のモッズは職場で使い物になる
わけがありません。 当時のロンドンでは、 アンフェタミンといった違法薬物が跋扈してお
り、モッズは それらを服⽤して睡眠時間の⽳埋めをしようとしていました。 当然できるわ
けはなく、 体の負担は著しいものがありました。

3.⼥性に興味がなかった

今でいう絶⾷系男⼦でしょうか。異性恋愛に興味を持たないオリジナルモッズは、第⼆次
世界⼤戦を経験して、がむしゃらに働いてきた親世代にしてみれば異質な存在でした。ただ
しこれは恋愛を後回しにして、⾃らのスタイルを⾼めることを優先したと考えれば、 彼ら
の魅⼒とも⾔えなくもないかもしれません。
⼀⽅で、1964 年以降、新たにモッズとなった少年たちは集団でガールハントをするように
なっていきます。

●モッズアイテムをご紹介します。

1.Fred Perry/フレッドペリーのポロシャツ
フレッドペリーはモッズが特に愛したブランドでした。 特にイングランド製のポロシャツ
M12 は、 ダンスクラブで⼀晩中踊った後も、⾒栄えの良いままで、モッズのトレードマー
クの 1 つになりました。 フレッド・ペリーのポロシャツは、モッズだけでなく、その後、
あらゆるユースカルチャーで引⽤され続けます。フレッドペリーではモッズのスタイルを
踏襲し今でも同ブランドの全てのモデルはボタンをトップまで⽌めています。

楽天市場店:https://item.rakuten.co.jp/better/m12/
Yahoo!ショッピング店:https://store.shopping.yahoo.co.jp/betterdays777/m12.html
au Pay マーケット店: https://wowma.jp/item/514116001

2.Clarks/クラークスのデザートブーツ
物はダンスクラブで朝まで踊っていましたが、その時のお供がクラークスのデザートブー
ツでした。 クラークスのデザートブーツは、丈夫で⾒栄えが良く、モッズたちに好まれて
いました。 今では、不動の定番となっています。
クラークスはイギリスのブランドですが、実はデザートブーツのブームはアメリカから逆
輸⼊されたものでした。

3.モッズパーカ(M-51)
彼らはのちにモッズパーカと呼ばれる軍の払い下げのミリタリーパーカ(朝鮮戦争が停戦と
なったため⼤量に余っていた)をスーツの上に合わせていました。これは仕⽴ての良い服を
廃棄ガスから守るためのだけでなく、 同じ主義、主張を持つ仲間意識を⾼めるために着ら
れていました。
フレッドペリーのモッズパーカーは、現代的なディティールで調整を加えながら最新のシ
ルエットにアップデートしています。バズリクソンズの M-51 は当時のディテールを忠実
に再現しており、こちらも素晴らしい出来です。

楽天市場店:https://item.rakuten.co.jp/better/j2570/
Yahoo!ショッピング店:https://store.shopping.yahoo.co.jp/betterdays777/j2570.html
au Pay マーケット店: https://wowma.jp/item/533875967

4.John Smedley/ジョンスメドレーのポロシャツ
実はジョンスメドレーのポロシャツも隠れモッズアイテムなのです。1970 年代のリバイバ
ルモッズブームの際、モッズのゴッドファーザーであるポール・ウェラーが着⽤したことか
らネオモッズアイテムになりました。

楽天市場店:https://item.rakuten.co.jp/better/kieran/
Yahoo!ショッピング店:https://store.shopping.yahoo.co.jp/betterdays777/kieran.html
au Pay マーケット店: https://wowma.jp/item/541157306

1964 年、モッズとロッカーズの対⽴と暴動は、メディアにも取り上げられ(映画『さらば⻘
春の光』が詳しい)、それをきっかけに オリジナルモッズたちは、もう勘弁してくれと⾔わ
んばかりにモッズを辞めていきました。以来、純粋なオリジナルモッズは絶滅し、残りは、
モッズを⽌めるか、ヒッピーになるか、ホモセクシュアルの道へ進みました。
新たにモッズとなったその⼀部は、その後スキンヘッズと⾔うユースカルチャーを⽣み出
しています。

まだまだご紹介していない お話はたくさんありますが、これで終わりにしたいと思います。
モッズに思いを馳せて、彼らが愛した服を⼿にしてみるのもファッションの楽しみ⽅とし
て素敵だと思います。

参考⽂献
ニックコーン(奥⽥裕⼠訳)『誰がメンズファッションを作ったのか?男性服飾史』DU
BOOKS、2020 年
ジョン・サベージ(岡崎真理訳)『イギリス「族」物語』毎⽇新聞社、1999 年
⾼村是州『ザ・ストリートスタイル』グラフィック社、1997 年
ディック・ヘブディジ(⼭⼝淑⼦訳)『サブカルチャー―スタイルの意味するもの』未来社、
1986 年


ジョン・サベージ(岡崎真理訳)『イギリス「族」物語』毎⽇新聞社、1999 年 P64

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